神戸大学附属図書館報 Vol.6 No.1(1996.4)

フットボール、教育改革、大学図書館

川嶋 太津夫


 某テレビ番組の落語三題噺のような小論のタイトル。実はアメリカのある大学を舞台に実際に起きた物語のキーワードなのである。

 その大学とは、アメリカのシカゴ大学のことである。シカゴ大学といえば、ノーベル経 済学賞受賞者を連続して輩出するなど、その学問研究のレベルの高さで世界に知られるが、 ハーバード大学、イェール大学といった他のアメリカの著名大学に比べると、その歴史は 比較的浅く、数年前にようやく創立100周年を迎えたばかりである。後発の大学故に、 初代学長のハーパーは、大学の評価を急速に高めるために様々な先駆的な試みを行った。 大学院の重点化、社会人教育部門の設立、大学出版部の事業化など、現在多くの大学が取 り入れている構想が多い。さらに、彼は学生のフットボール・チームの充実とその事業化 にも乗りだし、シカゴ大学は、早くも今世紀初頭には、有力な「ビッグ・テン」において何度か優勝を勝ち取るほどの実力校にまでなっていた。

 しかし、1929年に弱冠30歳で第5代学長に就任したハッチンスは1939年にフ ットボール・チームを廃止することにした。当時のシカゴ大学のフットボール・チームは、 かつてのチャンピオンとしての栄光は消え去り、「ビッグ・テン」のお荷物チームになり さがっていた。その背景には、当時、選択履修制が主流の時代に、シカゴ大学がハッチン ス学長のもとで、いわゆる「コア・カリキュラム」をいちはやく導入し(神戸大学の「教 養原論」もルーツはここにある)、すべての学生に数多くの科目を必修科目として履修さ せるとともに、西洋の古典を幅広く網羅した文献リストからなる「シラバス」をもとに出 題される卒業試験を全学生に課すという、画期的な教育改革を断行していたという事情が あった。当時すでに莫大な収入をもたらすビッグ・ビジネスと化していた大学フットボー ル・チームを維持していくには、優秀な選手を全米からリクルートしなければならないが、 この改革の結果、多くのハイ・スクールの有望なフットボール選手が、シカゴ大学の厳し い卒業要件を嫌って、他大学へ進学してしまったのである。シカゴ大学は、フットボール がもたらす名声と収入よりも、学生の教育の質の高さを選択したわけである。

 シカゴ大学キャンパスの中心を占めていた巨大なフットボール・スタジアムは、その後、 第二次世界大戦中に、マンハッタン計画の一環として、世界で初めて原子の火をともした エンリコ・フェルミの実験室として使われた後、打ち壊された。そして、その跡地に、1 970年、レーゲンシュタイン夫妻からの1千万ドルの寄付を基に、総額2千万ドル以上 をかけて、地下2階、地上5階建ての巨大な「ジョセフ・レーゲンシュタイン図書館」が 完成した。この図書館は、それまで各学部など、キャンパスのあちこちに分散していた人 文科学と社会科学の図書を集中所蔵する教員及び大学院生のための研究図書館である。収 蔵図書数300万冊、閲覧座席数2,500席、そして個人研究室250室という、全米 でも1、2の規模を誇る大学図書館で、稀覯本を除いて全て開架式のこの図書館で、人文科学と社会科学に関しては、研究に必要な図書や文献をほぼすべて手に入れることが出来る。多くの学生は、朝の8時半の開館と同時に自分のお気に入りの場所に席を占め、授業や食事に出かける以外は、一日の大半を夜中の1時の閉館まで図書館で過ごしている。まさに、図書館が大学生活の中心となっているのである(うわさでは住みついている学生もいるとか)。

 神戸大学でも、近年いくつかの教育改革が実施され、また、新しい中央図書館の構想も 具体化しつつある。シカゴ大学のキャンパスの中心が、フットボールの観客の歓声に沸き 立つスタジアムから、勉学に静かにいそしむ多くの学生で溢れる図書館へと変わったよう に、神戸大学においても、中央図書館が一連の教育改革の成果を象徴すべく、文字どおり 大学の中心となることを願いつつ筆をおくことにする。

(かわしま たつお 大学教育研究センター助教授)