神戸大学附属図書館報 Vol.7 No.2(1997.7)

名谷分室の発足と図書館機能

内 山 三 郎

 平成6年10月医学部保健学科が設置され、完成年度の学部学生総数は640名、これに大学院生と研究生が加わると800名以上の規模となる。卒業論文、修士・博士論文の作成など図書館利用の頻度は増えるのみである。また、神戸大学の他の学部に比べ、六甲キャンパスからの、通学時間もかかる。医療技術短期大学部創設当時の昭和56年に設置された図書館は、平成8年度末には3万6千冊の蔵書を持つほどに充実してきた。そして、この図書館は平成9年4月から医学部分館名谷分室として再発足することとなった。単に名称の変更のみでなく、その機能や内容等一層の充実が期待されている。
 大学における図書館機能も時代とともに変わってきた。図書を管理し、閲覧と貸出に供する単純な機能から、コンピュータ利用による即時の広域検索機能をもつ時代となった。さらに、視聴覚機器、人工衛星情報の活用など導入されてきた。時代は変わっても、大学における図書館は研究教育の推進と進歩にとって、不可欠の重要な存在であることに変わりはない。
 最近のできごとから、図書、読書、研究について私なりに考えてみた。
1.読書は未知の世界への接近と内的世界を充実させるものでありたい。
 近年、日本の風潮として哲学書、文学書にふれることは、いわゆる「ネクラ」人間のやることであって、瞬時に笑いを誘うもの、おもしろ、おかしいものが読み物であると錯覚されてきた。周りも、このことに対して無関心に見過ごし、評論家的な発言に終始した。日本人の「活字ばなれ」が指摘されて久しい。誰の責任か。責任を問う前に、私の持論である「物が心を蝕んだ日本の悲劇」の一シーンである。同時に、依然として改まらない日本国のもつ閉鎖集団行動の伝統もあげることができる。「自分の意見がない、主張がない」したがって「日本国は国家ではない」といわれても、反論できないのである。
 日本を代表する出版社の創設者から、数十年前に聞いた言葉を思いだす。「私が出版社を始めたのは、目が潰れる程、本を読みたい、という若人に会ったからです」
 コンピュータで便利になっても、それを使いこなすのは人間である。読み考える、考えて読む、この基本の行動を繰り返さなければならない。日本人は国際的に発言できない、発言する内容を持たないのであるとの酷評を受けることもある。国際会議等で「不気味な笑いをし、決して自分の意見を言わず、黙っているのは日本人」という一部の批判に応える時である。
2.自然科学と人文科学研究の相違
 仮説実証が自然科学の方法とするなら、人文科学は多様な価値の説明が必須である。ここに、研究上の違いがでてくる。したがって、大学図書館を利用する研究者の図書活用の方法も幾分異なるであろう。最近、痛感することであるが、図書利用はあくまでも手段のはずであるが、目的と手段を取り違えて、文献検索のみで一件落着とする者がある。こわいのは、当事者(研究者)が、その事に気付いていないことである。

(うちやま さぶろう 医学部保健学科教授)

名谷分室閲覧室写真
−名谷分室閲覧室−