神戸大学附属図書館報 Vol.9 No.1(1999.4)

本の重みとコンピュータの速さ

内山 三郎


      はじめに
      創造と事実発見
      読書の功罪
      インターネットと電子メールの登場
      さて、どうするか

 はじめに:  どんな人にも、人との出会いがあるように、本との出会いがある。私が本に対して、奇異なもの、貴重なものであるというイメージをもつようになったきっかけは幼児期までさかのぼる。 旧制第七高等学校が火災にあい、数日後に白髪の老教授が何かボソボソ呟きながら、ほとんど灰になっていた図書資料をこまめに点検し掻き集めている姿を見た時である。 また、私の育った辺地では「本」とは言わずに、「書物」という言い方が普通であった。家庭にあっても、書物を跨いだり、粗末に扱うと年長者に叱られるのが常であった。 時は移り、所が変わって、図書のもつ意義や機能も大きく変わった。

 創造と事実発見:  学際、民際、国際の語を頻繁に聞くようになり、境界や区分が曖昧になったと錯覚しがちであるが、実は逆であって、「際」が存在するためには、相互に独自の領域または世界が存在しなければならない。 境目を混同し、曖昧にすることが学際でも国際でもないのである。一般には、学問も単純に自然、社会、人文と区分され、大学等では理系か文系に大きく分けられることがある。 その度に思うのは、最近、よく話題になる行動科学、環境科学などの分野はどこに分類すればよいのだろう。文系と理系が話題になると、いつも私の持論を展開する。 しかし、広く理解してもらえないまま、今日に至っている。私は単純に「主としてヒトを対象とするのが文系であり、モノまたはヒト以外の生物を対象とするのが理系である」と定義している。 医学は生命科学とも呼ばれ、自然科学であろうが、医学を基礎とする医療はむしろ文系に属するのではないかと思う。 文系でない医療が横行し、ヒトが物としてだけ扱われると、想像もできないような医療ミス、加害者に弁解の余地もない事故が起こるのである。理系の研究においては、事実発見を目的とするから、文献も過去の事実確認のために使われる。 従って、ポイントを見逃さないことに留意すればよいわけである。ところが、文系においては、「価値」の概念が入ってくるので、厄介であると同時に時間もかかる。 別の見方をすれば、研究者にとっては一つの楽しみにもなるのである。つまり、読みこなすのである。読みつくすのである。とくに、文学作品においては、読みこなすことによって、つぎつぎに、新しい事実を発見する。 この過程が「読書百遍義自ら見(あらわ)る」となる。この場合の「事実」は自然科学での「事実」とははっきり区別される。いわゆる理系学生と文系学生の図書に対する構えや期待は異なることが多い。 現代は情報洪水、情報過多の時代ともいわれるが、中でも、図書情報はオーバーフローの状態なので、学生だけでなく読者は消化不良を起こし、自分自身の内的生活が混乱する結果となる。 そのため、最初から図書を敬遠し、読書を避けようとする群と、ひたすら、創造と新事実の発見を追い求める群とがある。明らかに、後の群は少数であり、時代の変化によって今では、変わり者扱いされることもある。

 読書の功罪:  単純明快なもの、即時に結論が得られるものを読書の対象にした方が、気楽である。敢えて、難解なものに触れることは、周りから要領の悪さを指摘され、蔑視の対象にもなる。 現代日本人の思考の特徴として「おぼえることは得意だが、考える能力に劣る」と評論されることもあるが、その根源がこの読書傾向または読書回避にあるのかも知れない。

 インターネットと電子メールの登場:  世界がより狭くなった。最新ニュースの入手が容易になった。インターネットは娯楽の機能ももっている。電子出版が普通になる。就職情報や個人情報の受発信が盛んになる。大学等では読まれない図書の管理が問題になる。 一気に廃棄できないところに図書管理の難しさがある。電子図書館化の動きもある。検索の迅速性が要求される。電子化はプラス面だけが強調される。 私自身も重量にしたら数キロもある書籍を一枚のCDに納め、ポケットに入れて持ち歩き、必要な時、瞬時に活用している。速く、正確な情報入手が全てと錯覚する。 ところが全体を概観できる利便性は図書そのものでなければ不可能である。インターネットは「木」の細かな構造まで示してくれるが、「森」の生態や季節変化は示してくれない。

 さて、どうするか:  花粉症の季節がやってくる。春の訪れが恐怖になる。コンピュータに対するアレルギーをもつ人も多い。やたらと横文字が多いのが気にさわる。それに、人間の思考様式を単純に0か1で処理することが間違いだ。 でも、日頃の業務が電算化されていく大きな流れに逆らうことはできない。転職まで考える深刻世代もある。 ところが、転職相談の窓口も電算化、保険や年金の処理も全てコンピュータ、もうこの時流は無視できないと、夜間のコンピュータ学校に内緒で通っておられる中年世代の真面目な姿に時代の変遷を実感した。
 図書とコンピュータ、うまく二人三脚できれば、高スピードで時代を駆け抜けることができそうだと思った方が心の健康上も良いようだ。

(うちやま さぶろう 図書館運営委員・医学部教授)