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アレキサンダー先生インタビュー 2014.8.4 

 神戸大学の先生方を、通信で取り上げてご紹介しています。今回は、国際協力研究科 ロニー・アレキサンダー先生です。「平和って何だろう」という問いを研究する平和学を中心に、幅広いお話を伺いました。

「平和学」について

―――本日はインタビューをお受けいただいてありがとうございます。よろしくお願いいたします。

アレキサンダー先生(以下 ア):よろしくお願いします。緊張しますね(笑)

―――先生のご研究についてのお話を中心にうかがいたいんですけれども、まずご専門の平和学について、私たちには少し耳慣れないもので、基礎的なところから教えていただけますか?

ア:平和学あるいは平和研究というものは雑学であって学問ではない、と思う人もたくさんいますけど、第二次世界大戦の後、どうすればあんな大きな戦争を繰り返さなくてすむか、というところから始まった学問です。
最初の頃はやはり戦争が中心でしたが、だんだんに戦争の原因を掘り下げて考えると、貧困や差別やあらゆる暴力が根底にあって、じゃあそれをどうすれば取り除くことができるのか、というところも平和研究の対象となりました。また、ただ単に戦争の原因を取り除くだけでは、楽しくいきいきとした平和に必ずしもなるとは限らないので、暴力を否定するだけではなくて、積極的に平和をつくることも課題となりました。だから平和研究はかなり幅広い学問です。
主には社会科学、政治学や国際関係などが軸になると思っていますが、経済学が絡んだり、今の原発など核問題を取ってみても、核物理学の知識があってわかることも多いですよね。もちろん、歴史学も教育学、倫理学なども絡んでくるでしょう。何がどうして危険で、どうすれば良いのかなど。だから非常に学際的な学問でもあります。

―――その平和学を専門にされるようになったきっかけは、何かおありだったのでしょうか?

ア:長いバージョンと短いバージョンがありますけれども(笑)。きっかけは3つほどあって、1つはベトナム戦争のこと。それはちょうど、私が中学生の時です。なぜアメリカがわざわざ遠いところに行って戦争をしなければならないのか、というのがわからなかったんですね。それでよく学校を休んで、デモに行ったりしていました。でも、結局は平和運動は無力だと感じて、がっかりしてしまいました。やっても意味がないんじゃないかな、と思っていました。
今の立場から考えると、あれだけ反対運動が盛り上がったからこそ、ベトナム戦争は終わったんじゃないかと思いますけれども、当時は手ごたえがないというか、「みんな仲良くしましょう」と言ってるだけじゃダメじゃない、平和運動なんかもういい、と思ったんですね。
ベトナム戦争でも核兵器の使用は検討されていたので、それに対する反対の声もありました。しかし、テレビニュースで毎日、その日にベトナムで亡くなった兵士(もちろん米兵)の名前が流れていたので、核兵器より通常兵器による戦争の方がリアリティがありました。
核兵器が悪いと思っていたけれど、私たちが受けた教育では原爆のキノコ雲の写真だけがあって、その下のことについては写真も説明もありませんでした。雲の写真については「ちょっとかっこ良いじゃん」と思うくらいでした。だから何であんなに「核兵器はだめ!」と言うのかわからなかったですね。
そういうこともあって平和運動はもういい、と思って、環境とか人権とか女性とか、いろんな分野の運動を高校・大学時代に試してみました。卒業後は北米YMCA同盟に奉職し、日本に派遣されました。受け入れ側の日本YMCA同盟の担当は「君には平和問題の仕事をしてもらう」と言って、私の勤務先を広島と決めました。

日本へ渡るきっかけ

―――「平和運動はもういい」と思ったのに?

ア:「もういい」と思ったのにです(笑)。原爆を投下した国の人が来ても、友だちができるわけないと思って、広島に行きたくなかった。けれども、仕事だし行かなければいけないと思いました。到着してすぐに、広島平和記念資料館に連れていってもらいました。最初の日本語は「コーヒーをください」で、「原爆」が、2つめに覚えた日本語でした。
広島で、(被爆)証言の英訳のチェックから始まり、翻訳、通訳、若者を中心とする平和教育活動などが仕事の内容でした。被爆者の訴えは私にとても響くものがありました。原爆を受けながらも平和を訴える見地ですね。しかし、広島・長崎の原爆投下は戦争の中での一つの行為であり、戦争のすべてを代表するわけではないし、平和問題のすべてでもありません。
もちろん私も、原爆は絶対に使うべきではないし認められないと考えています。けれども、原爆だけを取り上げて他の戦争はもちろんのことですが、戦争以外の問題―貧困や差別なども無視するのはどうかしら、という疑問がありました。もともと環境問題や他の社会問題に関心があったので、平和との関連について考えたかったんです。でも、結局は疑問を持ちながらチャンスを待っていたのです。そんな頃ミクロネシアにYMCAを作るということで派遣されたんですね。そこで核実験のことを初めて知りました。

―――ビキニ環礁の水爆実験などですね。

ア:はい。核実験のことで非常に大きなショックを受けました。
おそらく、例えば日本人が南京に行って(南京大虐殺に関する)博物館を見て、自分自身は生まれていないし知らない時代のことだと思っていても、やはり責任というか、いろいろと感じるし考えると思うんですね。アメリカの核実験は、私にとってそうでした。核実験によって多くの人は被ばくしたわけですが、それはどうしてなのか。アメリカはどうして彼らを被ばくさせたのか。自分の国がいやになりました。そして、まだ独立していないミクロネシアの島の中で平和憲法をつくろうとしていることを学び、興味を抱きました。
さらにYMCAの仕事でアジアを歩くことになって、アジアでも核兵器や核問題に関心を持っている人はたくさんいることを知りました。そうして、「先進国がつくった問題は、途上国ではなく、先進国がしっかりと解決しなければいけない。」そう思って大学院に入ろうと考えたんです。ミクロネシアに関心がありましたから、やはり太平洋地域を中心に研究しようと決めて、仕事を辞めました。

―――その時に、なぜ日本の大学を選ばれたのですか?

ア:ずっと広島にいましたから、東京を知らずに日本を知っているとは言えないと思ったんですね(笑)。それで東京に出ていって、国際際基督教大学の大学院で修士の学位をとってから上智大学の博士後期課程に行きました。
ひとつ笑い話があります。広島に島原帆山(しまばらはんざん)先生という人間国宝になられた尺八の先生がおられて、来日1年後くらいからその先生と息子さんの寛山(かんざん)先生に尺八を習っていました。東京に行ってからでも続けていました。師範試験の時に寛山先生の本名「和生」の「和」の字をいただき「和山」という名前をつけていただきました。とても尊敬していた上智大学の鶴見和子先生の「和」でも、自分の専門の平和の「和」でもあって、うれしかったです。その後神戸大学法学部への就職が決まった時に、周囲から「どっちの“ほうがく”?」と冗談まじりに言われたものです。

―――「法学」と「邦楽」ですね(笑)。なるほど。

ア:上智大学での指導教員は蝋山道雄先生でした。国際関係論でいうと現実主義の立場の先生で、私とは全然違っていました。それでも、自由に研究をさせてくださいました。当時は気づいていなかったけど、冷戦中のアメリカの大学だったら、私が研究したようなテーマをフォローしていくことにはかなりの障壁があったのだろうと思います。日本にいたからこそ広い視野で想像的に研究できたと思いますね。

―――その後上智大学を卒業されて、神戸大学の法学部にいらっしゃることになった縁やきっかけといったものはあったのでしょうか?

ア:上智で博士論文を仕上げる頃でしたね。満期退学した後、上智大学の国際関係研究所の研究員をしていたんです。仕事を探さないといけないなと思っていた時に、神戸では助教授を探していました。まずは助手として着任して、博士号はその年の暮れに取得しました。次の年から3年間の約束で助教授に就いたんです。
東京が好きだったし、実は神戸に来るのは気が進まなかったんですけど、来て3週間もしない内に「こっちに来て良かったねえ。神戸大好き」と思うようになりました(笑)

―――神戸のどのあたりがお好きですか?

ア:海があって山があって、都会の便利さもあって、みんなが親切だし。
法学部に来た当初は、私も含めてみんなが緊張していたと思います。外国人で女性ということ、相手はどう対応して良いかわからなかったのでしょう。私の方もどう付き合って良いかもわかりませんでした。最初は第二研究室に研究室が与えられるはずでしたが、そこだとどこにも女性用のトイレがありませんでした。それで結局、最初から現在つかっている部屋(第三学舎)になりました。机や家具はみんな25年前から使っているものですよ。
この建物も、以前は各階にトイレがなかったんです。今回の改修工事の時にキャンペーンをして、やっとこの5階にも女性用のトイレができました(笑)

ポーポキとの出会い

―――ポーポキ・ピース・プロジェクトを始めようと思われたきっかけは何ですか?

ア:「ポーポキ」とはハワイ語で猫のことで、私が15年間一緒に暮らしていた猫の名前ですが、出会ったのは神戸に来て間もない頃、いちばん辛かった時です。先ほど言いましたが、あの頃はたった一人の外国人女性教員で孤立していました。相手も私自身も緊張して肩に力が入っているものだから、とても話しかけにくかったと思います。そんな頃にゴミ箱に捨てられた生後1週間ぐらいのポーポキと出会いました。あまりにも小さかったから最初は大学にも連れてきていたんです。そうすると、猫が好きな先生や他の教職員も声をかけてくれるようになって。ポーポキのおかげで神戸大学で自分の居場所を見つけることができました。私にとってポーポキはとても大事な存在でした。
さて、ポーポキ・ピース・プロジェクトのことですが、私は平和を研究するだけではなく、平和教育も平和運動の実践面も大切にしています。そうすべきではないと考える平和研究者もいますが、私は実践が研究の欠かせない部分だと考えています。
研究は実践ではありませんが、実践を通して社会に還元できるし、実践したことを研究にフィードバックすると研究が深まると考えます。そこでポーポキ・ピース・プロジェクトですが、院生の頃から平和をテーマとする市民講座や平和教育に関わっていました。正解もなく、特別な知識が必要というわけではないので、講座などの導入部分で「平和って何色?」と問いかけたりしていました。ある日、友人から「そういう問いかけを集めた子ども向けの本を書いたらどうか」と助言をもらったんです。でも面白いやり方が思いつかなくて。
しかし、ポーポキが亡くなった時に、ふっと思いつきました。彼を登場させれば描こうと思っていた本が描けるかもしれない、と。それが『ポーポキのピース・ブック』*1です。今はシリーズ3作目までありますが、それらの本や全身・五感をつかった手法などを用いて、さまざまな実践をするのがポーポキ・ピース・プロジェクトです。

―――この本は、最初から最後まで問いかけの形で書かれていますけれど、市民講座などでもこの本を朗読したり、同じ問いかけの形で進められたりするんですか?

ア:はい。全部を読むと長いので、その時のテーマに合わせてページを選んで、私が読んだりみなさんに読んでもらったりします。
勉強の面白いところは、すべての問題に一つの答えがあるものではないというところです。いろいろな答えがあり得るし、学習している側が自分で探って見つけた答えはその人にとって生きてくるものなんですよね。その答えから出発して、「じゃあ私には何ができるのか」とか「次は何を勉強すれば良いか」とか考える。詰めこみ教育っていうのはあまり平和的じゃない。例えばある問いかけに対して、私たちが全然違う答えを持っているとしましょう。今の世の中だったらもうそこで話がストップしてしまう。考え方が合わないのでコミュニケーションができない、と。しかし、本当はそういう状況を乗り越えて、持っている答えが違っていても接点を探したり、話を続けられるという技術がとっても大事だと思っています。しかも、平和は一つだけではありません。だから、ポーポキの本を全部問いかけの形式で書いたんです。
研究の中では、ジェンダーやセクシャリティもとても大切にしています。固定観念のために見ているつもりで見えていないもの、聞いてるつもりで聞こえてこない声といったものです。人間同士では社会のいろんな関係性がどうしても出てくるから、そういうものを見たり聞き取ったりすることが難しい。だけどポーポキは猫で、人間社会とは関係ないからいろんな役で関わることができて考えが豊かになります。ジェンダーが平等な社会を私たちは体験したことがないから、どんなものかわからないし、とても想像しにくい。でも、想像できないものはつくれない。どうすれば私たちの想像力が豊かになって、想像できないものでもつくってみることができるか。難しくいえばそういった批判的想像力や表現力が、研究のもうひとつの大きな柱です。

日本で研究するということ

―――神戸に来られて、辛い時期もあったとおうかがいしましたけれども、例えば日本で研究をされる上で苦労をされるところとか、逆にプラスに働いているところなどがあればうかがえますか?

ア:そうですね。私の研究は核から出発してジェンダー・震災・平和活動などに広がってきましたが、特に研究生活を始めた当時外国人が日本で研究するということは、日本について研究するか、さもなければ自分の国について研究するか、だったんですね。私はどちらでもないので、文科省や多くのベテランの研究者の方などからはよくわからない存在だったようです。珍しいとか新鮮とかいう意味では良かったかもしれないけど、なかなかわかってもらえなかったですね。科研費の申請も、研究分野の項目に平和の「へ」の字もないんですね。だから平和研究で、しかも戦争以外のアプローチからの研究だとまず取れなかったですね。
自己評価が始まった時にも、「外国語の業績リストを送ってください」と言われて日本語ばかりのリストを出したこともありましたね(笑)。日本にいるので、日本語で書くことは多くの人に読んでもらえると思ったからです。来日してから日本語を独学で学んだ私にとって、日本語はもちろん「外国語」ですね。最初の頃は日本語の業績を一生懸命書こうとしていました。それが評価されないだけではなくて、結局国際学会からも評価されない。孤立してしまったわけです。「これはいけない」と思って海外の国際政治学会などに積極的に出るように努力しはじめました。そうすると必然的に英語の業績が多くなって、今度は日本語の業績が少なくなる。これもまた問題で、難しいところですね。日本人も海外へ出ていくなら英語が必要だし、仕方がないところもありますけれど。
良かったところもいろいろありますが、おそらく日本の国立大学で最初に、助手から任期なしの教授になった外国人女性だと思います。そのおかげで、若いわりにはいろいろなところへ出かけていくことができたのは良かったですね。神戸の震災の後もいろいろな審議会に出たりしました。国際化の波もありましたから、外国人で女性という点で余計に呼ばれやすかったのでしょう。もちろん、これは自分のマイノリティ性を利用した生き方でもあり、逆に利用されている生き方でもあります。私より適切な人は世の中にたくさんいるだろうけど、私にチャンスが来ました。
最初だから楽な面もあれば、とても大変な面もあるけど、後輩の苦労が減りチャンスが開くように努力してきたつもりです。「最初」ということは、先輩がいないということです。それがしんどいです。20代、30代を経て良くなるかといえば、50代、60代でも同様だろうと思います。同じような立場の先輩に相談したくてもできない。
自分の求め方にも問題があるかもしれませんが、私の研究領域は特殊なので、そもそも同じような研究者や相談相手が少ないので、一人ぼっちと感じるときがあります。自由にはできましたけれども。大学には多様性が欠かせないものだと思いますが、実際に課題が多いです。難しいですね。
私の人生を大きく変えたことは、20年ほど前に病気で失明したことです。今は見えていますが、まさか復帰できるとは思わないまま1年、2年とここまで来ました。目を思うように使えないという体験からは新たな想像性や研究方法が生まれたのかな。この経験がなかったらポーポキ・ピース・プロジェクトも生まれてこなかったと思います。いろいろな人がいろいろな形で支えてくれて、そのおかげでやって来られたんですね。
ポーポキの活動はいろいろなところへと広がっています。ちょうど先日、毎年行っている釜ヶ崎でのフィールドワークに学生を連れて行ってたんですが、「むすび」*2という、平均年齢80歳くらいのおっちゃんの紙芝居劇団がパフォーマンスをしてくれて、これはその感想が載った会報です。横の猫の絵はポーポキだと思います。すごく面白いおっちゃんたちでした(笑)。いつもはお礼に絵を描くんですが、この時はみんなに「平和はどこにあるのかしら?」と問いかけをして、ストーリーを作りました。

―――なるほど。先生は、学生さんも連れて東北に行かれているそうですね。

ア:「ポーポキ友情物語」活動と呼んでいますが、その布に絵を描いていく活動は、東日本大震災の年の4月に始まったんです。半年で30mくらいになりましたけど、2011年4月はじめに神戸市・コープこうべ・神戸YMCAが出したボランティアバス先遣隊に乗って宮城県へ行ったんです。それでポーポキらしい何かをしようと考えて、45㎝x500cmの布の端っこにポーポキを描いてマーカーと一緒に持っていったんですね。避難所に行って広げたら、そこにいた子どもも大人もすごい勢いで絵を描いて、あっという間に布がいっぱいになりました。
現在は150mぐらいの布があります。今まで描かれた布で展示やワークショップをしたり新しく描いたりと今だに続いています。口に出さない・出せないものを人は絵にするんですね。
大学のプロジェクト支援金や民間の助成金を使って、学生も連れていって活動を続けたり、記録も残しています。彼らにとってはすごく貴重な経験だと思っています。

「平和」とは何か

―――絵本を読んでいて感じたんですが、平和というのは、安心して暮らせることなのかな、と思ったんです。趣味をしたり、いつも通りの1日があったり、誰でも何かあればSOSを出せる、というのが平和な状態なのかなと感じました。

ア:ずっと、生きものはどうすれば安心して平和に生きることができるのか、というのがもともとのテーマでしたが、今いちばん追いかけたいと思っているのはそれです。とくに、(東日本)大震災後の活動をとおして見えてきたことは「安全」と「安心」とが、もとはセットのはずなのに今すごくずれているんですね。被災地でいちばんよく通っている所は岩手県の大槌町ですが、この町では14.5mの堤防をつくろうとしています。

―――確か住民の方々の意見も分かれているのではなかったですか?

ア:分かれているんですけど、もうつくり始めています。土地の嵩上げも始まっているし。震災の年に現地のおじさんから聞いた話ですが、「(堤防ができれば)確かに安全かもしれない。でも海が見えなくなってちっとも安心できない」と。福島でも何が安全かわからない、安全でも安心じゃないですよね。だから防災関係のポーポキの話を描こうと、今考えています。「安心って、なに色?」という本が描けたら良いなぁと。
この「安全と安心のずれ」は本当に問題視しないといけないと思うんです。昨年、男女共同参画推進室のインターナショナルシンポジウム*3に出させていただいて、分野の違う先生方とパネルディスカッションをしたんですが、工学系の先生が「安全基準がしっかりしていれば、安全だと断言できるし誰もが安心できるはず」と仰いました。それは違うと思うんですね。

―――原発がまさにそうですよね。安全だと言われてきたけれども、今は福島以外の原発がある地域でも安心が揺らいでいますね。

ア:福島やホットスポットのあるところに住んでおられる方々も、誰の話を信じたら良いのかわからない。先日私も立入禁止区域に入ったんですが、はじめは線量計が2や3μSv(マイクロシーベルト)を差すだけでも怖いんです。それが10を超えるところまで入って、戻ってくると2や3がまったく平気に見えるんですね。

―――なるほど。

ア:平和を「幸せ」だと考える人もいるけど、幸せとは違うと思うんです。「幸せ」より「安心」のほうがより近いかな。国際関係論や平和学もそうだけれども実証的な社会科学は、エモーションを排除して客観的に分析するんですね。私はそんなことはあり得ないと考えていますが。
よくよく考えると、ずっと恐怖感を操作されてきているんですね。集団的自衛権の必要性を訴えるときも「怖いから」ということが多いですね。策定のために研究はしていると思うけれど、客観性を訴える側でも結局は「脅威」に対する我々の恐怖感を操作している。しかも、安心感は「脅威」によって定義されてしまう。エモーションを否定しつつ、そうやって恐怖感を使います。中国が攻めてくるのが当然だったら、中国が攻めてこないことが「安心」になるけど、それでよいのか?本当は違うでしょ。

―――それも大事だけど少し違う、という感じですね。もう少し積極的なというか、仲良くできたら「安心」な気はします。

ア:本当はそうですよね。そういうエモーションがいろんなところで働いているのに、無視するのはかえって危険です。研究者として、エモーションを無視してはいけないと思います。私たちの行動に大きな影響を与えているものだから、それを取り入れなければ平和をつくることなんてできない。そういうところでポーポキが手伝ってくれているわけです。

研究スタイルについて

―――普段そうやってワークショップをなさっていたり、研究室でご研究をされている中で、情報はどのように集めておられるのか、少し詳しくうかがえますか?

ア:けっこう図書館にお世話になっていますよ(笑) 電子ジャーナルも調べますし。
ワークショップは、ある意味で何が起こるかわからないから、準備がたくさん必要です。いろんなものを読んだり、日本平和学会などでシェアしたり、ネット上のメーリングリストを読んだり。あとは自分の足で歩いて直に触れます。そうでないとなかなか理解できないので。これは重要だと思ったら出かけていって、調査したり話を聞いたりして、それをまた持って帰ってきて調べて、その繰り返しですね。
出かけていくと必ず、その出会いの中でいろいろと学ぶものもあるし、新たなテーマが出てきます。今は毎月出しているポーポキ通信*4に簡単な報告を出しながら、重要と思うものを研究しています。

―――先ほど電子ジャーナルもお使いになるとのことでしたが、書籍は利用されますか?購入されることも多いのではと思いますが。

ア:本はそうですね、あと写真(集)や映像ですね。たとえば、今はちょうどミクロネシアの被爆問題や、原発問題を追っているフォトジャーナリストから翻訳を頼まれているので、写真や映像を使ったりしています。

オープンアクセスについて

―――電子図書館係は、リポジトリで先生方の論文をインターネットで公開することを主に行っているのですが、アレキサンダー先生の論文も紀要に載ったものを中心に掲載させていただいています。
こういう、研究成果を誰もが見られるようにすることはどのように思われますか?

ア:私はとても良いと思いますよ。学術誌に載ったものは著作権の問題がいろいろあるから難しいだろうなとも思いますけれども。受験生がどんな先生かを知る手段にもなりますよね。
研究者の業績を載せる海外のWebサービスがたくさんあるんですけれども、ゆくゆくはそういうものとリンクできたら、もっと広い範囲で網羅できるんじゃないかという気がしています。自分でも「あの論文どこに置いたっけ?」とわからなくなった時にも便利ですし。

―――そうですね。論文を書かれたら、ぜひリポジトリにもお寄せください。

ア:それはどこかのジャーナルなどに載ったもので、著作権がフリーなものが良いんですか?

―――そうですね。そういったものか、学会や出版者が許諾したものはリポジトリに搭載できます。著作権関連の調査はこちらでしますので。

ア:わかりました。

図書館に望むこと

―――ちょうど図書館の話が出ましたけれど、ご著書もたくさん寄贈していただいていて、大変ありがたいです。

ア:扱いにくいんじゃないですか?どの分野に置く本か、とか(笑)

―――いえいえ、確か政治学の国際問題分野に置かせていただいていますよね。それと震災文庫にも1冊いただいています。

ア:本屋さんでも英語教育のところに置かれたり、大きさも定形ではないものだから文句を言われるし(笑)

―――絵本は型にはまらない大きさが多いものですからね(笑)。
震災文庫を利用されることもありますか?ホームページのデジタルギャラリーもありますけれども。

ア:震災文庫は、寄贈を持っていった時かな…。ひとつだけ愚痴を言いましょうか(笑)

―――もしかして、受け入れをお断りしたことがありましたか?

ア:はい。東日本大震災の資料で、神戸の震災には触れていないからと。

―――ああ、それは大変申し訳ありません。収集方針からは逸れてしまうんですね*5

ア:でもすごく大切にしたいことのひとつは、神戸だから今のつながりがあることなんですね。神戸で東日本の状況を見て衝撃を受けて、自分の20年前の恐怖感を思い出したりとか、そういう関係性なんです。

―――震災文庫以外の場所に所蔵します、という申し出はあったでしょうか?

ア:確か結果的には入ったと思います。ただ、当然喜んでもらえると思って持っていったので、がっかりしてしまいました。

―――申し訳ありません…。

ア:最近はあまり使っていませんが、震災文庫の初期の頃、まだ整理されきっていない頃に見に行った覚えはあります。でもすごく大事な活動ですね。

―――そうですね。東日本大震災の後に、震災文庫へ見学に来られる図書館や大学の方が多かったです。東日本のアーカイブを作る時に、ひとつのモデルケースになるということで。
他に、図書館へのご要望などおありですか?

ア:電子化を含めてかもしれないですが。私が通った大学の図書館には、くつろいで本を読めるスペースがあったんですね。小説や文学も置いてあって、何か嫌なことでもあった時にそこで別の世界に行くことができたんです。神戸大学に来ると、真面目な本しかないなと思いました。

―――そうですね。ここ(社会科学系図書館)は特にそういう本ばかりで。

ア:学生委員長を初めて担当した時に、国際協力研究科でちょっとした本箱をつくって、小説とか英語のペーパーバックを置いたんです。留学生が多いので、本当は彼らの第一言語の本を置けたら良いんだけど、そうじゃなくても少しでもホッとできるものをつくろうと思って。そうしたら休みの間にみんな無くなって、休みが明けたらまた戻ってきていました。そういうちょっと和むスペースがあれば良いですよね。今の子たちは周りにデジタルのものも多くて、本じゃなくても良いのだろうけれど、でも本の良さも知って欲しい。
ここで教えてすごく驚いたことのひとつは、本を読まないことです。自分の専門のものは見るかもしれないけど、小説や文学はあまり読まないんですね。私もそう多く読んではいないですが、そういう本を通して、人間社会の新たな側面に気づくことができます。いつもと違う本をゆっくり読むよろこびを学生に知ってほしい。みんながホッとできる「心のケアスペース図書館版」がいつかどこかにできたら良いなぁ、と思っています。

―――リラックスという点では、2013年度の改修工事でラウンジと言いますか、少しくつろげるスペースはできました。軽食が食べられたり、ゆったりした椅子も置いてあります。あとはラーニングコモンズができたので、会話できるスペースは増えていますね。

ア:そうですね。それはすごく良いと思ってます。

―――本棚や小説は、やっぱり社会科学系図書館にはやわらかい本は置いていないですね。総合・国際文化学図書館になりますね。

ア:難しいですよね。いろんな言語で軽く読めるものがあったら嬉しいですけどね。
あとはアートですね。私の研究でもそうですけれども、市民アーティストや私たちの目線でのアート、いろいろな政治性のあるアートに触れると、すごく豊かになるんじゃないかと思うんです。だから展示があったり、「図書館で今度は何をやってるの?」と興味を持って見に行けたりするようになれば、もっとたくさんの人は図書館へ足を運びますね。真面目に研究してない私みたいな人にも良いですね(笑)。

―――ラーニングコモンズの使い方は私たちも考えているのですが、アイデアとして、美術系やボランティア関連の学生団体の展示会場や、ゼミ発表の場などに使えたら良いねという話はしています。すぐにはできないかもしれませんが。

ア:東北に行って私や学生が写真をたくさん撮っても、展示する場や見てくれる人がいない場合もありますから、それはとても良いですね。

―――今日はうかがえて良かったお話がたくさんありました。どうもありがとうございました。


*1 ポーポキ・ピース・プロジェクト
http://popoki.cruisejapan.com/project.html (2014.12.22 確認)
附属図書館所蔵

*2 紙芝居劇むすび http://musubiproj.exblog.jp/ (2014.12.22 確認)

*3 国際シンポジウム2013年開催案内(神戸大学男女共同参画推進室)
http://www.office.kobe-u.ac.jp/opge-kyodo-sankaku/sp_topic/symposium/2013_1205.html (2014.12.22 確認)

*4 ポーポキ通信
日本語:http://popoki.cruisejapan.com/archives.html
英語:http://popoki.cruisejapan.com/archives_e.html
(2014.12.22 確認)

*5 震災文庫の収集対象は、阪神・淡路大震災に関する資料。中越や東日本など、他の震災のみを扱った資料は収集しない方針。

(文責:附属図書館電子図書館係 小村)