一四四 (元和六年)二月晦日 徳川秀忠黒印状

 将軍徳川秀忠が中川久盛に与えた黒印状。築城用の角石・平石・栗石を献上したことを賞したもの。角石(すみいし)は石垣が屈曲する部分に用いられる石、平石(ひらいし)は石垣壁面の表面に用いる石、栗石(くりいし)は水はけと安定をよくするため石垣の裏に大量につめこむ小さめの石のことをいう。
 慶長二〇年(一六一五、元和元年)五月の大坂夏の陣で、徳川幕府は大坂城にこもる豊臣家を攻め滅ぼし、秀吉の築いた大坂城を灰燼に帰せしめた。そしてその四年後の元和五年、秀忠は大坂を直轄地とすると、翌年三月から、幕府の畿内や西国支配の拠点とするため大坂城の再築工事に着手する。この工事は諸国の大名を動員する、いわゆる天下普請として行われ、三期にわたる大工事の末、寛永五年(一六二八)に竣工した。本状は、この再建工事、特に元和六年三月から八年六月までにわたった第一期工事の折りのものと推定されている。この時久盛は東外堀南端の石垣普請を担当した。なお、「中川氏年譜」(『中川史料集』所収)によれば、中川家は元和六年のうちに概ね持ち場の普請を終えたが、翌年一月に石垣が崩れ、築き直しを命ぜられるという不運に見舞われたという。



解題作成:神戸大学文学部日本史研究室(デジタル化:神戸大学附属図書館)