二四 (天正十三年)九月二日 羽柴秀吉朱印状

 二三号文書に同じく、天正一三年(一五八五)閏八月の秀吉による領知替えに関わる史料と考えられるもので、中川氏の旧領であった摂津国豊嶋郡(現、大阪府池田市全域と豊中市・箕面市の大部分、吹田市の一部)・太田郡(現、大阪府茨木市・摂津市の全域と吹田市の大部分、豊中市・箕面市・豊能町の一部)に秀吉給人(直臣)を配置するにあたり、「郡々在所付」を引き渡すよう命じ、これに伴い案内を差し越すよう申し送っている。二三号の解題にも述べたように、秀吉の居城・大坂城のある摂津には、その直臣たちが配置されることになったのである。本状の出された前日の九月一日付で、秀吉から加藤虎介へ豊嶋郡萱野村千八百石余が替地として、早崎小伝次へ太田郡吉志部村内千石、大嶋雲八へ太田郡穂積村千二百石余、猪子次左衛門へ太田郡粟生内千石、同太郎八へ同所内三百二十石余が新規に給与されている。本状はこれらと対応するものであろう。
 なお、追而書に「帳面はこちらに提出する」とも見えるから、文中に見える「郡々在所付」とは、郡内の村々の詳しい情報を記した帳面のことかと思われる。秀吉は、秀政に現地の事情に通じた者(案内)を派遣させてこうした帳面を作り、もって当地の支配や給人たちへの引き渡しに利用せんとしたのだろう。また、秀吉は末尾で「由(油)断無く夜日を継」いで案内を差し越すように、と厳命しており、この領知替えの迅速・徹底の模様が伺われる。



解題作成:神戸大学文学部日本史研究室(デジタル化:神戸大学附属図書館)