五 (年月日未詳) 知行配分目録

 中川石千世・中川平右衛門尉・熊野田千介・寺井弥次右衛門尉・戸伏助進の五人に計二万三千五百石を配分した目録。なお、中川平右衛門尉の部分には異筆で四千石と記されている。
 中川石千世(代)は清秀の次男、秀成の幼名。また中川平右衛門尉(長祐)・熊野田千介(資勝)・寺井弥次右衛門尉(元定)・戸伏助(之)進は、「中川氏年譜」(『中川史料集』収載)によればいずれも清秀の重臣である。本目録に関しては、秀成が幼名であることから、天正一一年(一五八三)四月の賤ヶ岳合戦で清秀が戦死した直後の、清秀長男秀政への家督相続にともなう知行配分にかかわるものと考えられている(この年秀成は一四歳)。なお、後年の整理によって付された包紙には「秀吉様よりの御配分付」とあり、「中川氏年譜」第二世秀政公・第三世秀成公の天正一一年の記載に、それぞれ「清秀公御遺領茨木十二万石御領知あるべき旨、羽柴殿より仰せ蒙られ」「羽柴殿の内命に依って、秀政公御領知の内、一万八千五百石公へ御分知あり」と見える事から、清秀と「兄弟の契約」を交わしていた(「摂津中川清秀宛羽柴秀吉誓書」『増訂織田信長文書の研究』下巻収録)秀吉がこの配分に関わった可能性もある。



解題作成:神戸大学文学部日本史研究室(デジタル化:神戸大学附属図書館)