七一 文禄三年八月廿五日 豊臣秀吉朱印状

 文禄三(一五九四)年八月、秀吉が中川秀成を大分郡内今鶴村(現、大分市津留村)の代官に任じ、四六二石二升の年貢の運上を命じた朱印状。「船着たるにより」と文面にもあるように、今鶴村は、中川領を貫流する大分川・大野川の河口に位置する重要な船着場であった。なお、この時の船着場とは、大分川河口の沖浜であったが、文禄五年閏七月一二日の大地震で海没、慶長二(一五九七)年冬に今津留浦に移ったという(「中川氏年譜」、『中川史料集』所収)。
 中川氏がこの地の代官に任ぜられたのは、中川氏の所領が内陸部にあったため、その年貢積出港として利用させるためであったと考えられている。これもまた、豊臣政権による中川領の政治的・経済的再生産の支持策の一つといえよう(六九号文書参照)。



解題作成:神戸大学文学部日本史研究室(デジタル化:神戸大学附属図書館)