上海週報(The Shanghai,Japanese Weekly)

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『上海』『上海週報』解題

雑誌『上海』は、1913年から1945年まで、上海で発行された日本語雑誌である。1928年から1933年の時期は『上海週報』と誌名が変更され、1933年5月からは半月刊誌『上海』となった。1945年初頭までの刊行は確認されているが、停刊の時期は不明とされる。1916年での発行部数は1000部とされる。同年における上海日本人居留民人口は、約11100人、戸数は約2200戸であり、創刊された前後の時期は、日本人居留民人口が1908年の約7200人から1919年の約17700人へと急成長し、上海日本人居留民社会が確立する時期であったとされる。


創刊時の代表は上海にて長らく新聞業に従事していた佐原篤助だが、実際に雑誌を主幹したのは西本省三(1877-1928)である。西本は熊本県菊池郡瀬田村で出生し、中学済々黌(現在の熊本県立済々黌高等学校)を卒業。上海に渡って東亜同文書院の教師となり、アジア主義団体・東亜同文会の有力メンバーである宗方小太郎、佐原篤助などと交流が深かった。上海の日本語新聞『上海日報』の顧問就任などを経て、辛亥革命後の1913年に、西本は宗方小太郎、島田数雄、佐原篤助や、清朝遺臣の鄭孝胥らと共に、上海に春申社を設立し、『上海』の発行を始めた。鄭孝胥と親しく、また同じく清朝遺臣の沈子培に師事していた西本は、熱烈な清朝復辟論者として知られ、『上海』紙上でもしばしば清朝復辟を唱え、中華民国共和制を攻撃した。1926年に佐原が上海を引き揚げた後は、自らが春申社代表となったが、『上海』の経営状況は厳しく、1927年夏に西本は病のために郷里熊本に帰ったが、二度と上海の地を踏むことなく翌28年5月に死去した。春申社はその後誌名に合わせて上海週報社、上海雑誌社と改名され、三村某、次いで山田儀四郎が経営代表となった。


『上海』の社説論調からは、中国進出をめぐる列強間の競争が激しかった時代を背景に、日本以外の列強諸国が、経済面や文化面、政治面で中国へのさらなる進出を図る事への警戒心が垣間見える。中国をめぐる列強諸国の国際関係を知る上でも『上海』は貴重な資料である。また、『上海』においては中国社会に対し、雑誌の主催者であった西本が社説上で、袁世凱の帝政やそれ以降の政局の混乱、軍閥間の抗争に満ちた中華民国を「偽共和」と批判し、孫文ら国民党の活動についても、「欧米直訳思想」、あるいは国共合作を批判して「偽共産」と呼んだ。そして清朝皇帝による、儒教道徳に基づく統治が中国にはふさわしいと述べ、観念主義的な観点から中国情勢を論じた。こうした論調は、西本と親しかった人物からも、「政治評論と言わんよりも、思想的、政治哲学的評論」「頗る難解」と評されるほどであった。


ただ、『上海』の記事は全てが西本の信条に基づいて書かれたものというわけではなく、総合情報誌としての側面も『上海』は有していた。そして、上海に国民党の北伐軍が迫っていた1927年3月7日を最後に、西本の号名「白川生」による社説は途絶える。西本の健康がこの時点で悪化していたのかもしれないが、北伐軍の上海占領が間近に迫っていた時勢というのも、あるいは影響したのかもしれない。以後、国民党による中国統一に伴い、社説は時勢に即した、現実主義的なものへとなっていく。そして翌28年5月の西本死去を経て、改名された『上海週報』は信条を喧伝する性質が薄れていき、総合情報誌としての性質がより強まっていった。


戦前の中国では日本人居留民により、多くの日本語新聞、雑誌が刊行されていた。西本が属していた東亜同文会も、明治末期に清朝中国にて中国語新聞の発行を手がけており、その後も上海では島田数雄や、東亜同文会の創立者の1人である井出三郎により、日本語新聞『上海日報』が発行されていた。それら、戦前中国の居留民社会で発行されていた日本語新聞は、日本人居留民社会の中国観を示す資料として有用である。しかし、こうした日本語新聞は戦後、多くが散逸してしまっている。その中で、『上海』『上海週報』はバックナンバーのほとんどが国内に保存されているという、希少なケースである。『上海』 の経営を支えた広告料収入の多くは現地の日本企業や商店から賄われており、紙面上の広告からは当時の上海日本居留民社会の様子も窺う事が出来る。


この雑誌の他の特徴として、『上海』は当時の中国語新聞の記事を多く翻訳、転載している。こうした記事の原文は今では見ることが難しい。当時の中国国内の言説を知る上でも、『上海』は重要な手掛かりを提供している。(神戸大学大学院人文学研究科学術推進研究員 村田 省一)

参考文献

  1. 石川禎浩「雑誌『上海』『上海週報』記事目録 解説」濱田正美『近世以降の中国における宗教世界の多元性とその相互受容』科学研究費研究(基盤(B))成果報告書 課題番号10410087、2001年
  2. 山村睦夫「第一次大戦期における上海日本人居留民社会の構成と「土着派」中間層」『和光経済』30-1、1997年
  3. 中下正治『新聞にみる日中関係史―中国の日本人経営紙』研文出版、1996年
  4. 東亜同文会編『対支回顧録』下巻、1936年
  5. 黒龍会編『東亜先覚志士記伝』下巻、1936年
  6. 上海雑誌社編『白川西本君伝』1934年