「王敬祥関係文書」目録・翻刻の作業について

このウェブサイトは、「王敬祥関係文書」に関する調査研究報告である。主に、(1)兵庫県立歴史博物館に保管されている「王敬祥関係文書」の撮影・公開、(2)「王敬祥関係文書」の目録整理と各文書の解説、(3)「王敬祥関係文書」の翻刻・校勘、(4)王敬祥と「王敬祥関係文書」に関する先行研究の整理、以上4つの作業を行った。

本調査研究は、神戸大学附属図書館の「平成15年度(2003年度)学内研究成果電子化事業」に基づくものである。

  1. 「王敬祥関係文書」に関する先行調査研究
  2. 「王敬祥関係文書」の名称は『王敬祥関係文書目録』が編まれた時(1996年8月)に生まれたのであり、それ以前に「王敬祥関係文書」を構成する資料群全体を指す名称は存在しなかった。しかし、本論では行論上の煩雑さを避けるために、その資料群全体を一貫して「王敬祥関係文書」と称することとする。また、以下の王氏、「王敬祥関係文書」に関する記述は、特に断らぬ限り、王柏林・松本武彦「王敬祥関係文書の概要」 [1]、王柏林「「王敬祥関係文書」について」 [2]に拠っている。

    1. 「王敬祥関係文書」の撮影(複写)・公開
    2. 1950年代後半から1970年代にかけて、神戸華僑総会や「中華民国」駐大阪総領事館が、王重山氏(王敬祥の長男)や王柏林氏(王重山氏の長男)の許可を得、「王敬祥関係文書」の一部の撮影、複写を行った。

      1966年(孫文生誕100周年)前後、中華民国各界記念国父百年誕辰籌備委員会学術論著編纂委員会主編『孫文先生と日本関係画史』が、「王敬祥関係文書」の一部を掲載した [3]

      1981年、王柏林氏は北京で開催された辛亥革命70周年記念式典に臨み、北京の出版社に「王敬祥関係文書」の一部の写真を提供した[4]

      1980年代以降、神戸大学を訪れた中国人研究者らが、陳徳仁氏の斡旋で、「王敬祥関係文書」の一部の複写を行った。

      1990年代、神戸大学社会学研究会編『社会学雑誌』第7号の「特集:神戸の華僑」 [5]、呉柏林『福建公所今昔録』 [6]が、「王敬祥関係文書」の一部と王氏所蔵の写真の一部(「王敬祥関係文書」に含まれていない)を掲載した。

      1992年から1993年にかけて、安井三吉氏と王柏林氏がマイクロフィルムを用い、「王敬祥関係文書」のモノクロ撮影を行った。1993年2月、マイクロフィルムは神戸大学附属図書館人文科学図書館に収められた[7]

      1997年、神戸市立博物館主催の特別展「日中歴史海道2000年」が、「王敬祥関係文書」の一部と王氏所蔵の写真の一部を展示した[8]

      2000年3月、王柏林氏は「王敬祥関係文書」を兵庫県に寄贈した。保管場所は、保温・保湿の設備が整った兵庫県立歴史博物館(姫路市)の古文書収蔵庫と決まった。その後、兵庫県立歴史博物館編『兵庫県立歴史博物館館蔵品選集Ⅱ』[9]が、「王敬祥関係文書」の一部を掲載した。

      同年11月、王柏林氏は「王敬祥関係文書」の複製(モノクロコピー)を神戸市立中央図書館に寄贈した[10]

      また2000年から2001年にかけて、中華会館編『落地生根』[11]、三輪雅人「王敬祥」[12]、財団法人孫中山記念会編『孫中山記念館(移情閣)概要』[13]が、「王敬祥関係文書」の一部と王氏所蔵の写真の一部を掲載した。

      さらに、「王敬祥関係文書」に含まれていない王氏所蔵の写真が複写された。1950年代に、神戸華僑の史料を収集していた陳徳仁氏が、呉錦堂別荘「松海別荘」での孫文と王敬祥ら神戸華僑の集合写真(本ウェブサイト「ご覧のみなさまへ」)を複写した。現在、この写真は引き伸ばされ、神戸舞子の孫中山記念館に展示されている。

    3. 「王敬祥関係文書」の目録整理と各文書の解説
    4. 1980年代後半、王柏林氏と松本武彦氏は、陳徳仁氏の紹介で面識を得た。1992年、王氏と松本氏は、研究者や神戸華僑の有志の協力を得、「王敬祥関係文書」の整理を始めた。同年8月、両氏は整理を終え、目録を編んだ(この時、「王敬祥関係文書」の名称が生まれた)[14]。この目録の意義は、第一に、「王敬祥関係文書」の散逸を防ぎ、その保管の根拠を確立したこと。第二に、「王敬祥関係文書」が神戸華僑、辛亥革命に関する研究に便宜を供したことである。

      2000年以降、蒋海波は晩清民初の神戸華僑史を研究するに当たり、「王敬祥関係文書」を解読しはじめた。その過程で『王敬祥関係文書目録』に不備(後述)があることに気付いた[15]

    5. 「王敬祥関係文書」の翻刻・校勘
    6. 1952年頃、中国国民党の党史編纂機関(台北)の関係者が、「王敬祥関係文書」中の孫文が王敬祥に宛てた文書の翻刻・校勘を行った[16]

      また、時期不詳ではあるが、台北から来神した研究者の陳固亭氏が、「王敬祥関係文書」中の孫文が王敬祥に宛てた直筆の文書(陳氏は「函」と記す)3通と、陳其美が王敬祥に宛てた直筆の文書(陳氏は「信札」と記す)15通などを確認(陳氏は「検出」と記す)した。陳氏は、「王敬祥関係文書」の「内容の多くは、中華革命党の組織や華僑との連絡、経費の募集などの問題を研究討論したものである」[17]と記している(このことについて、王氏、松本氏は記していない)。なお、現在の「王敬祥関係文書」には、孫文が王敬祥に宛てた直筆の文書2件[18]、陳其美が王敬祥に宛てた直筆のメモと書簡各1件、計2件[19]、陳其美が王敬祥に宛てた湿式複写(藍晒)の文書1件[20]、陳其美が王敬祥に宛てた文書の封筒のみ(書簡は所在不明)12件[21]、を確認することができる。

      1981年、陳徳仁氏(当時、神戸華僑歴史博物館館長)が、神戸華僑歴史博物館で開催する「孫文と辛亥革命七十周年」展(テーマは"孫文と神戸"、"辛亥革命と華僑")を準備するために、神戸中華同文学校教諭の曾健卿氏、藍璞氏とともに、「王敬祥関係文書」の翻刻・校勘を行った[22]

      1988年には、陳舜臣氏、藍璞氏、山田敬三氏(当時、神戸大学教授)、劉克倹氏(当時、孫中山記念会事務局)らが、「王敬祥関係文書」の翻刻・校勘を行ったが、現在中断されたままになっている[23]

    7. 王敬祥と「王敬祥関係文書」に関する先行研究
    8. 1963年、神戸華僑で作家の陳舜臣氏が「王敬祥関係文書」をタウン誌に紹介し、一般市民にも知られるようになった[24]

      1980年代から90年代にかけて、神戸では孫文研究会の活動開始(1982年6月)、孫中山記念館の開館(1984年11月)、神戸華僑研究会(現、神戸華僑華人研究会)の設立(1987年5月)などを通じて、研究者、華僑、一般市民が合同で京阪神華僑の歴史を研究する場が設けられた。陳徳仁・安井三吉『孫文と神戸』[25]、陳徳仁編『辛亥革命と神戸』[26]、中村哲夫『移情閣遺聞――孫文と呉錦堂』[27]、神戸大学社会学研究会編『社会学雑誌』第7号の「特集:神戸の華僑」などはこのような環境から生まれたものである。各著作に王敬祥が孫文の革命事業を支援したことが紹介され、『社会学雑誌』の「特集」に王柏林氏が自分の家族の歴史について述べた記録が収められた[28]

      1996年以降、日本外務省文書や定期刊行物などを駆使して日本華僑と辛亥革命の関係について研究を行っていた松本武彦氏[29]が、王柏林氏とともに、王敬祥と「王敬祥関係文書」に関する初歩的紹介を行った[30]。また、松本氏は「王敬祥関係文書」を利用し、王敬祥が孫文の革命事業を支援したことを、彼の事跡に沿って整理した[31]

      三輪雅人氏は「王敬祥関係文書」中の孫文が王敬祥に宛てた文書に着目し、孫文の革命事業を支援した王敬祥の人物像を紹介した[32]

      洲脇一郎氏、陳来幸氏はそれぞれ、神戸華僑史の中で王国珍(王敬祥の養父)、王敬祥と、彼らが経営した貿易商社「復興号」を取り上げた(陳氏は「王敬祥関係文書」を利用した)[33]

      蒋海波は、「王敬祥関係文書」や国民党駐日各支部・交通部の合同機関誌『国民雑誌』(1913年4月~9月)などを利用し、王敬祥、楊寿彭ら神戸華僑が孫文の革命事業を支援する経緯を論じた。そして、中華革命党軍事部の内部機関誌『軍事部旬報』[34]を併せて用い、「王敬祥関係文書」中の王敬祥宛の文書の差出主(劉佐成、黄伯群など)が王敬祥または中華革命党神戸大阪支部の資金援助を頼り、福建での討袁武装蜂起を企てたことを明らかにするなど、中華革命党時期に王敬祥が果たした役割を確認した[35]

      また、台湾では江柏煒氏が、金門出身の華僑で故郷の金門山后に一族の集落を建てた王氏を取り上げ、彼ら(主に明玉・敬祥・重山)の個人史と集落「山后中堡十八間」の建築様式を整理し、晩清華僑の家族や故郷に対する価値観と故郷に建てた集落の建築様式との関係について論じた[36]

      なお、本ウェブサイトの「参考文献目録」を参照されたい。

  3. 今回の「王敬祥関係文書」に関する調査研究
    1. 「王敬祥関係文書」の撮影(複写)・公開
    2. 2003年3月、マイクロフィルムを用い、兵庫県立歴史博物館に保管されている「王敬祥関係文書」のカラー撮影を行った。次いで2004年2月より、マイクロフィルムからデジタル画像データ(カラー)を作成し、「神戸大学電子図書館(学内研究成果)」よりインターネットを通じて一般公開を行っている[37]

    3. 「王敬祥関係文書」の目録整理と各文書の解説
    4. 2000年以降、蒋海波は晩清民初の神戸華僑史を研究するに当たり、「王敬祥関係文書」を解読しはじめた。その過程で以下のような難問と『王敬祥関係文書目録』の不備を指摘した。

      (一)書簡の欠けた封筒が多い。一般的に、書簡の欠けた封筒のみを保存することは考え難い。考えられる原因としては、書簡が抜き取られたためか、あるいは、書簡を取り出した後、元の封筒に戻さなかったためか、である。しかし、現在となってはこのことを究明するすべがない。

      (二)『王敬祥関係文書目録』において、本来同一の文書であったはずの書簡部分と封筒部分に別々の「文書番号」が附されている。

      もし、書簡が封筒とともに保管されているならば、封筒に押された消印から書簡の作成年を確定することができる。ところが、(一)と(二)のために、書簡の内容からその作成年を推定するほかすべがない。

      (三)『王敬祥関係文書目録』において、「表題」、作成時期が無記入、不明確、不正確である文書が多い。

      そこで、『王敬祥関係文書目録』の整理・補訂を行うに当たり、以下の目的を設けた。併せて、その結果を記す。

      (一)『王敬祥関係文書目録』に登録されなかった文書を補足すること。このたび、1件の文書を補足し、「文書番号」0176を附した。

      (二)『王敬祥関係文書目録』において、別々の「文書番号」を附された、本来同一の文書であったはずの書簡部分と封筒部分を、復元すること。このたび、176件の文書を161件の文書に整理した。

      (三)『王敬祥関係文書目録』において、無記入、不明確、不正確である文書の作成者、作成時期を、できうる限り補足、確定、訂正すること。このたび、161件の各文書に名(「文書名」)をつけた。そして、時期が不詳の文書、王敬祥の没後に加えられた文書を除いて、117件の文書をその作成時期の順に配列し、「整理番号」を施した。

      (四)161件の各文書に短い解説を施した。

    5. 「王敬祥関係文書」の翻刻・校勘
    6. このたび、「王敬祥関係文書」のうち、神戸華僑、辛亥革命に関する研究でとくに重要と思われる文書53件の翻刻・校勘を行った。翻刻・校勘の正確さを期するために、『国父全集』や『革命文献』などの資料集(注16)や、神戸華僑歴史博物館に保管された翻刻・校勘の原稿(注23)を参照した。

      今後、新たに「王敬祥関係文書」の全文書の翻刻・校勘を行う予定であるから、併せて資料集・新聞・雑誌に掲載された王敬祥関連の記事を網羅し、それらの翻刻・校勘を行いたい。

    7. 王敬祥と「王敬祥関係文書」に関する研究
    8. このたび、「王敬祥の活動年表」を作成した。これは、王敬祥と「王敬祥関係文書」に関する先行研究(「参考文献目録」を参照されたい)を利用し、王柏林・松本武彦「王敬祥関係年譜」[38]の補訂を行ったものである。「王敬祥関係事項」の各項目には典拠を示した。

  4. このウェブサイトの構成
  5. 「文書の目録」の説明は、上記2(2)を参照されたい。

    「文書の画像と翻刻」の説明は、上記2(1)と2(3)を参照されたい。

    また、「王敬祥の活動年表」の説明は、上記2(4)を参照されたい。

    「参考文献目録」では、上記1(4)で挙げた先行研究、「年表」・「目録」・「翻刻」を作成する際に利用した資料を整理した。

このウェブサイトの作成に当たって、多くの方々や研究機関のご協力を頂くことができた。兵庫県立歴史博物館からは、「王敬祥関係文書」の撮影・転載の面で格別のご配慮を頂くことができた。また、京都大学附属図書館、神戸華僑歴史博物館、神戸市立中央図書館、神戸大学附属図書館の総合・国際文化学図書館、人文科学図書館、社会科学系図書館、孫中山記念館からは、資料の閲覧の面でご高配を頂くことができた。溝口歩氏(神戸大学大学院総合人間科学研究科)には、原稿作成の面でお世話になった。ここに記してお礼申し上げたい。

さらに、神戸大学附属図書館電子図書館掛の石坂泰郎氏と兵頭尚恵氏には、本調査研究を附属図書館の「電子化事業」に組み込んでくださり、また面倒な事務を引き受けてくださった。末筆ながら併せてお礼申し上げたい。

作成者は王柏林氏(神戸華僑歴史博物館館長)、久保純太郎(神戸大学大学院文化学研究科)、蒋海波(孫中山記念館研究員)、安井三吉氏(神戸大学国際文化学部教授)である。

(このページの作成者:蒋 海波・久保 純太郎/人物の肩書きは2004年3月時点のものである)