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王敬祥の活動年表
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解説
「王敬祥関係文書」から見た神戸華僑社会の政治活動と中華革命党の活動

蒋海波「辛亥革命時期神戸華僑の政治活動について」、「神戸華僑と中華革命党」、「王敬祥」に基づいて作成

(作成:蒋 海波,2005年3月)



王敬祥の活動年表

注1:年月は陽暦を基準とする。西暦年と日中の元号の対応は陽暦上のものである。

注2:○内数字は陽暦の月を示す。そうでないものには○の後に「旧暦」と注記する。

注3:*印は月が不詳であることを示す。

注4:原則として常用漢字、人名用漢字を用いる。

日中関係・世界の動き

阪神華僑社会の動き

王敬祥関係事項

1127~1162(南宋高宗)

 

 

*南宋高宗年代、王璡、福建泉州から金門島山后郷に移住し、山后王氏の開基祖となる [1]

1843(天保4)(清道光23)

 

 

⑧(旧暦)山后王氏一六世三房孝匣(敬祥の養父)、金門島山后郷に生まれる [2] 。諱孝匣、字国珍、号明玉 [3]

1862~1874(同治年間)

 

 

*同治年間、孝匣、布袋戯一座を率い、長崎に移住 [4]

1868(慶応4,明治元)(同治7)

①日本、王政復古の大号令 ⑩明治改元

①兵庫(神戸)開港、大阪開市 ③神戸雑居地設置 ⑧「大阪兵庫外国人居留地約定書」 ⑨大阪開港場に変更 *神戸・大阪に清国人来る

 

1870

 

*神戸八閩公所(福建商業会議所、福建公所、福建会館の前身)設立 [5] *神阪中華義荘開設(神戸)

*この頃、孝匣、神戸八閩公所会長(理事長)に就く [6]

1871

⑨日清修好条規調印(1873④発効)

①兵庫県「清国人取締仮規則」(~1874④)

 

1872

 

 

①21日(同治辛未年一二月一二日) [7]、敬祥、山后王氏一六世二房孝箱の五男として、金門島山后郷に生まれる。諱敬祥、字敬瑞 [8]

1874

⑤日本、台湾出兵

④太政官「在留清国人民籍牌規則」(~1878⑨)

 

1877(光緒3)

⑫初代清国駐日公使(使日欽差大臣)、何如璋着任

*商話別所(商和別所)設立(神戸,1879、1899説あり)

 

1878

 

⑨清国駐神戸理事府(領事府、領事館の前身)開設

 

1879

④琉球処分(沖縄県設置)

 

*この頃、孝匣、甥敬済(敬川) [9]とともに、神戸の源泰号(黄礼蘭の経営)で勤務 [10]

1885

④天津条約調印(⑤発効)

*黄檗宗清寿院を改築し、大阪関帝廟建立

⑩孝匣、神戸税関に復興号を登録申請。店舗は神戸海岸通と大阪川口。保証人は広駿源号(黄礼蘭の経営) [11]

1887

⑫ポルトガル、澳門領有

*大阪三江公所設立(1882説あり)

 

1888

⑩アメリカ、清国人移民排斥法強化

④黄檗宗万福寺の末寺・慈眼山長楽寺を神戸に移設し、関帝廟建立 ⑪広駿源(号)事件(神戸)

*敬祥、孝匣の養子として、大阪の復興号に移住 [12]

1889

②「大日本帝国憲法」(~1947⑤)

*日本郵船、神戸-天津線開通

 

1891

 

⑥⑦清国北洋艦隊、神戸寄港

 

1892

 

 

⑨敬祥、神戸の復興号に移住 [13](1893説あり [14])

1893

⑨清国、保商局設置(1899厦門,1900広州)

①神阪中華会館落成(神戸)

 

1894

⑧日清戦争勃発 ⑪興中会結成(ホノルル)

⑧勅令第137号「帝国内ニ居住スル清国臣民ニ関スル件」

 

1895

④日清講和条約 ⑤「台湾民主国」成立 ⑩日本、台湾武力「平定」

⑪孫文、神戸上陸 *大阪三江公所が、大清北洋商業会議所(大清北幇商業会議所、大阪中華北幇公所の前身)と大清南幇商業会議所(大阪中華南幇商業公所の前身)に分離

*敬祥の長女臻治(臻英) [15]、生まれる [16]

1896

③清国、日本に最初の留学生を派遣

⑨日本郵船、台湾航路開通

*陳興東、神戸に移住、復興号で勤務 [17]

1897

⑤台湾住民去就決定

 

*孝匣の甥敬斗(山渣) [18]、神戸に移住、復興号で勤務 [19]

1898

⑥イギリス、新界租借。戊戌維新 ⑨戊戌政変 ⑪東亜同文会結成(東京)

⑥『東亜報』創刊(神戸)

*周起摶、神戸に移住、復興号・瑞興号で勤務 [20]

1899

⑦保皇会(中国維新会)(国民憲政会の前身)結成(カナダのヴィクトリア)。日本、治外法権(領事裁判権)撤廃 ⑨アメリカ、門戸開放宣言

③法律第66号「国籍法」公布(④施行,~1950⑥) ⑤梁啓超、華僑学校建設の講演(神阪中華会館) ⑦勅令第352号(内地雑居令)・内務省令第42号・内務大臣訓令第728号 ⑨神戸華僑同文学校開校。日本郵船と大阪商船、華北航路開通 ⑩孔子生誕2450年祭(神戸) *大阪商船と大清北幇商業会議所の連携

*この頃、敬祥、復興号を継承 [21]

1900

*義和団事件勃発

③神戸華僑同文学校、校舎落成式・開校式 ⑥⑦⑧⑨⑪孫文、神戸通過 *「清国孩童総墓」(神阪中華義荘)

*孝匣と敬祥 [22]、金門島山后郷に、王氏一族の住宅・家廟(王氏宗祠)・郷塾「海珠堂(民国以降、海珠学校と改称)」を竣工させる。「山后中堡十八間」という [23]

1901

⑨北京議定書(辛丑和約)

⑦孫文、神戸通過

⑩敬祥、日本国籍を取得 [24]

1902

①日英同盟

①⑦孫文、神戸通過

①22日、敬祥の長男重山(奕珊)、生まれる [25] *敬済の長男振卿(奕卿、奕雲) [26]、神戸に移住、復興号で勤務 [27] *孝匣、「復興本号行規条約」を著す [28]

1903

④拒俄義勇隊(学生軍の前身)結成(東京) ⑤軍国民教育会結成(東京)

③第5回内国勧業博覧会(大阪博覧会) *大阪博覧会事件(学術人類館事件)

*孝匣、金門島山后郷にて没す [29]。その後、山后郷に埋葬 [30] *この頃、敬祥、神戸八閩公所会長(理事長)に就く [31]

1904

②日露戦争勃発。華興会結成(長沙) *光復会結成(上海)

⑫清国駐神戸領事館「日本への帰化を禁止する布告」 *『日華新報』創刊(神戸)

⑨敬祥、麦少彭・呉錦堂とともに、神阪中華会館の社団法人設立を兵庫県に申請 [32] *復興号、日露戦争軍債を引き受け、さらに軍資を献納 [33] *孝匣の甥敬施、神戸に移住、復興号で勤務 [34]

1905

⑧中国同盟会結成(東京) ⑨日露講和条約 ⑪韓国保護条約

①大阪商船、大阪-大連線開通 *神戸を通過する清国の憲政視察出洋五大臣一行を歓迎(神阪中華会館,~1906)

*敬祥、神戸華僑同文学校副董事長に就く(~1922) [35]

1906

⑪南満洲鉄道株式会社設立(本社東京、のち大連)

⑤福邑公所設立(大阪) ⑫梁啓超、神戸滞在(~1912⑨) *幼稚園開園(神戸華僑同文学校)

⑩敬済、「王敬祥監製」マッチの商標を登録

1907

 

 

⑤敬祥、神戸海上運送火災保険株式会社設立に出資 [36] ⑫敬祥、神阪中華会館理事長に就く(~1911①) [37]

1908

 

②第二辰丸事件

 

1909(宣統元)

③「大清国籍条例」

⑤神戸中華商務総会(神戸中華総商会の前身)設立。大阪中華商務総会(大阪中華総商会、大阪華商商会の前身)設立

⑩敬済、「王敬祥監製」マッチの商標を再登録 *鮑翼君、復興号で勤務 [38]

1910

⑧日本、韓国併合

⑥孫文、神戸通過

*敬祥、横浜正金銀行神戸支店の為替仲買人に就く [39]

1911

③留日中国国民会・留日女学会結成(東京) ⑦日本、関税自主権回復 ⑩武昌蜂起(辛亥革命・第一革命) ⑪留日学生同盟中国紅十字隊結成(東京)

⑥康有為、神戸滞在(~1913⑪) ⑪神戸中華商務総会が中華民国僑商統一聯合会に改組(~1912③) ⑫旅日華僑敢死隊(神戸義勇軍・横浜決死隊)結成 [40]

⑩敬祥、呉錦堂・鄭祝三などとともに、読書クラブ「博聞社」設立 [41] ⑪敬祥、中華民国僑商統一聯合会会長に就く [42](~1912③ [43])

1912(明治45,大正元)(中華民国元)

①中華民国成立 ②華僑聯合会設立(上海) ⑦大正改元 ⑧国民党結成(北京) ⑫福建行政会議「帰国華僑保護弁法」

②中華民国僑商統一聯合会、中華民国臨時政府の資金援助要請に応じ募金 ③中華民国成立祝賀提灯行列(神戸) ⑪内務大臣訓令第192号 *中華民国僑商統一聯合会が神戸中華商務総会に改組 *中華民国駐神戸領事館(総領事館の前身)開設 *華僑聯合会支部設立の動き(神戸)

③敬祥、南京臨時政府に興業貿易株式会社の設立を申請 *敬祥、神戸中華商務総会会長に就く(~1916①) [44]

1913

②中日興業(実業)公司設立計画 ⑦第二革命 ⑩日本、中華民国(北京政府)を承認

①国民党神戸交通部設立 ②③孫文、大阪・神戸訪問 ③国民党大阪分部設立 ⑧孫文、神戸通過

①敬祥、国民党神戸交通部副部長に就く [45]。敬祥、中国紅十字会特別会員に任命される [46] ③敬祥、中国紅十字総会名誉賛助員に任命される [47]

1914

⑦中華革命党結成(東京)。第一次世界大戦勃発 ⑪日本、青島占領

②神戸華僑商業研究会設立 *(神戸)華強学校開校

⑧敬祥、福建での討袁武装蜂起を資金援助(~⑫頃) [48] ⑩敬祥、中華革命党本部に党の財務の改善策を講じる [49]

1915

①日本、二一か条要求提出(⑤中国、受諾) ②③孫文「中日盟約」 ⑫第三革命

*中華革命党神戸大阪支部設立(神戸)

②敬祥、中華革命党神戸大阪支部支部長に任命される [50]

1916

⑥袁世凱没

④孫文、神戸通過

*中華民国(北京政府)、敬祥に五等嘉禾勲章を授与 [51]

1917

⑪ロシア、一一月革命

③神戸日支実業協会(神戸日華実業協会の前身)設立

③敬祥、神戸日支実業協会評議員に就く [52]

1918

⑧日本、シベリア出兵(~1922) ⑪第一次世界大戦終結

①内務省令第1号「外国人入国ニ関スル件」 ⑥孫文、神戸通過

 

1919

③朝鮮、三・一運動。コミンテルン設立(~1943⑤) ⑤五・四運動 ⑩中華革命党が中国国民党に改組(上海)

②(神戸)中華学校開校 ④ラマ僧歓迎事件(神戸)

 

1921

⑦中国共産党第一回全国代表大会 ⑪ワシントン会議(~1922②)

*中国国民党神戸支部設立(1929③~30④駐日総支部に属す)

*敬祥ら神戸華僑の有志、広州黄花崗公園造成の募金に応じる [53]

1922

⑨僑日(華工)共済会設立(東京) ⑫ソヴィエト連邦成立

③大阪貿易同志会(華中方面)と大阪輸出同盟会(華南方面)と大阪北支那輸出同業会(華北方面)が合併、大阪貿易同盟会と改称

⑥10日、敬祥、神戸にて没す [54]。15日、葬儀(神阪中華義荘) [55]。29日、中華民国(北京政府)教育部、敬祥に捐貲興学褒章を授与 [56]

1923

③旅順・大連回収、二一か条要求撤廃運動 ⑫陸海軍大元帥大本営「僑務局章程」

⑨関東大震災。神阪華僑救済団(救護団)結成。関東大震災の罹災華僑を神戸市・神阪中華会館などが受け入れる ⑩震災犠牲者追悼会(神阪中華会館) ⑫顕蔭和尚、神戸訪問 *僑日共済会大阪支部設立

⑤金門島山后郷に回葬 [57] *横浜正金銀行、敬祥遺族に功労金を贈与 [58]

参考文献

・「華僑史年表」(神戸新聞社『素顔の華僑――逆境に耐える力』京都:人文書院,1987年6月)

・高橋強「戦前の日本華僑社会の変容――華僑団体の動向を通して」(長崎華僑研究会編『長崎華僑と日中文化交流』年報・第5輯,1989年5月)

・竹内実編『中国近現代論争年表(1895~1989)』京都:同朋舎出版,1992年11月

・「川口華商の形成関係年表」(西口忠「川口華商の形成」(堀田暁生・西口忠編『大阪川口居留地の研究』京都:思文閣出版,1995年2月))

・王柏林・松本武彦「王敬祥関係年譜」(王柏林・松本武彦編『王敬祥関係文書目録』非売品,1996年8月)

・「神戸の中の「中国」ストーリー――神戸華僑物語」(『関帝廟』神戸:財団法人中華会館,1998年8月)

・「神戸華僑史年表」(中華会館編『落地生根――神戸華僑と神阪中華会館の百年』東京:研文出版,2000年2月)

・西川正雄ほか編『角川世界史辞典』東京:角川書店,2001年10月

・岩波書店編集部編『近代日本総合年表(第4版)』東京:岩波書店,2001年11月

・「孫文と神戸関係年表」(陳徳仁・安井三吉『孫文と神戸(補訂版)』神戸:神戸新聞総合出版センター,2002年1月)

・可児弘明・斯波義信・游仲勲編『華僑・華人事典』東京:弘文堂,2002年6月

(作成:久保 純太郎,2004年3月)



[1]江柏煒「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」77-79頁。

[2]王柏林「金門島山後[后]郷王家三代記」31頁。注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」82頁。

[3]「王瑞雪致王柏林函及信封」1990年2月2日(「王敬祥関係文書」文書番号0171)。

[4]王柏林「「王敬祥関係文書」について」17頁。注2「金門島山後郷王家三代記」32頁。

[5]洲脇一郎氏によると、「七〇[1870]年に八閩会[公]所が創設されたといわれるが、その場所は復興号であったかどうかわからない」(中華会館編『落地生根』73頁)。

[6]呉柏林『福建公所今昔録』10、13頁。

[7]「王敬祥訃報」(陳東華・蒋海波・中村哲夫編『泰益号文書神戸華僑関係(CD-ROM)』Vol.2)。

[8]注2「金門島山後郷王家三代記」33頁。

[9]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」84頁。

[10]注5『落地生根』68頁。

[11]「王国珍具稟清国駐神戸理事府」1885年10月3日(光緒11年8月25日)(「王敬祥関係文書」文書番号0153)。「清国駐神戸理事府理事照会神戸税関長」1885年10月5日(光緒11年8月27日)(「王敬祥関係文書」文書番号0152)。注5『落地生根』57、66-68頁。

[12]注4「「王敬祥関係文書」について」18頁。注5『落地生根』66頁。

[13]注4「「王敬祥関係文書」について」18頁。

[14]注5『落地生根』66頁。

[15]「王敬祥致王臻英(臻治)、王少海函及信封」[年月不詳]8日(「王敬祥関係文書」文書番号0085)。

[16]注2「金門島山後郷王家三代記」38頁。

[17]注5『落地生根』67-68頁。

[18]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」82、85頁。

[19]注5『落地生根』66、68頁。

[20]注5『落地生根』67-68頁。

[21]注4「「王敬祥関係文書」について」18頁。

[22]孝匣の役割を評価する注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」100頁。敬祥の役割を評価する注2「金門島山後郷王家三代記」30頁。

[23]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」100、106頁。

[24]「関於王敬祥日本帰化的許可証書」1901年10月22日(「王敬祥関係文書」文書番号0003)。

[25]注2「金門島山後郷王家三代記」38頁。「金門山后祖派分支世系表」(「王敬祥関係文書」文書番号0172)。

[26]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」82、85頁。

[27]注5『落地生根』67-68頁。

[28]「復興本号行規条約」1902年(清光緒28年壬寅月)(「王敬祥関係文書」文書番号0021)。

[29]注2「金門島山後郷王家三代記」32頁。王柏林著,江柏煒・簡吟芳訳,江柏煒校対・訳注・図説「金門山后郷王家三代記:一個移民神戸華僑家族的伝記」185頁注10。

[30]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」90頁図16。

[31]注6『福建公所今昔録』11、13頁。

[32]注5『落地生根』110-111、369-371頁。

[33]注5『落地生根』116-117頁。

[34]注5『落地生根』67-68頁。

[35]「神戸華僑同文学校四十週年紀念刊」1939年,133-134頁(陳徳仁編『学校法人神戸中華同文学校八十周年紀念刊』より転引)。

[36]「剪報:「神戸海上運送火災保険株式会社」」『大阪毎日新聞』1920年2月29日付(「王敬祥関係文書」文書番号0174)。

[37]注5『落地生根』379頁。

[38]注5『落地生根』65頁。

[39]注5『落地生根』66頁、89頁注(30)。王敬祥が横浜正金銀行神戸支店の為替仲買人に就いたのを1913年とする説がある(注2「金門島山後郷王家三代記」37頁)が、王敬祥は1911年に自ら「予は正金銀行の買辦なれば」と述べている(「時局急転後の在留清人観(三)」『神戸又新日報』明治44年(1911年)11月13日付)ので、『落地生根』の1910年説を採る。

[40]松本武彦「辛亥革命時期の在日華僑敢死隊について」。

[41]蒋海波「辛亥革命時期神戸華僑の政治活動について」116頁。

[42]松本武彦「中華民国僑商統一連[聯]合会の成立と性格」。同会は新政府の財政を援助するために、中華銀行(上海)の株券引き受けなどを行った(注5『落地生根』134頁。蒋海波「辛亥革命時期神戸華僑の政治活動について」120頁)。

[43]「王敬祥致陳其美、宋教仁、黄興、沈仲礼、王揖唐等函底稿」1912年4月上旬(「王敬祥関係文書」文書番号0151)。

[44]「王敬祥等創辦興業貿易株式会社呈」(中国第二歴史档案館編『中華民国史档案史料匯編』第2輯273-277頁)。「統一聯合会解散」(『神戸新聞』1912年4月1日付)、「王敬祥氏却けらる」(『神戸新聞』1916年1月31日付)。

[45]「中国国民党神戸交通部職員名表」1913年1月19日(『国民雑誌』第1号,1913年4月,130-131頁)。

[46]「中国紅十字会特別会員憑照及信封」1913年1月29日(「王敬祥関係文書」文書番号0023)。

[47]「中国紅十字総会名誉賛助員憑照及信封」1913年3月1日(「王敬祥関係文書」文書番号0024)。

[48]蒋海波「神戸華僑と中華革命党」263-269頁。

[49]「王敬祥呈孫文書」1914年10月4日(「王敬祥関係文書」文書番号0160)。注48「神戸華僑と中華革命党」272頁。

[50]「孫文等給王敬祥委任状」1915年2月11日(「王敬祥関係文書」文書番号0075)。

[51]「王敬祥氏死去」(『神戸又新日報』1922年6月12日付)。同記事によると、敬祥は中南銀行(上海)の重職に就いたことがあるという。

[52]西島函南「神戸日支実業協会の成立由来と現状一班[斑](一)」(『日華実業』第1号,1922年9月,6頁)。松本武彦「神戸日華実業協会の成立について」。

[53]林玲「黄花崗で出会った辛亥革命元勲の子孫」(『中国画報(日文版)』総第424期,1983年10月)。陳来幸「広州黄花崗公園の「紀功坊」について」。

[54]「王敬祥氏逝く」(『神戸新聞』1922年6月12日付)。注7「王敬祥訃報」。注51「王敬祥氏死去」。「王敬祥君之訃」(注52『日華実業』第1号,22頁)。

[55]『神戸新聞』1922年6月14日付所載の葬儀告知。注54「王敬祥君之訃」。

[56]「捐貲興学褒章執照」1922年6月29日(「王敬祥関係文書」文書番号0072)。

[57]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」97頁注35。注7「王敬祥訃報」。

[58]注4「「王敬祥関係文書」について」25頁。



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