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解説![]() 「王敬祥関係文書」から見た神戸華僑社会の政治活動と中華革命党の活動蒋海波「辛亥革命時期神戸華僑の政治活動について」、「神戸華僑と中華革命党」、「王敬祥」に基づいて作成 (作成:蒋 海波,2005年3月) ![]() 注1:年月は陽暦を基準とする。西暦年と日中の元号の対応は陽暦上のものである。 注2:○内数字は陽暦の月を示す。そうでないものには○の後に「旧暦」と注記する。 注3:*印は月が不詳であることを示す。 注4:原則として常用漢字、人名用漢字を用いる。
参考文献
・「華僑史年表」(神戸新聞社『素顔の華僑――逆境に耐える力』京都:人文書院,1987年6月)
・高橋強「戦前の日本華僑社会の変容――華僑団体の動向を通して」(長崎華僑研究会編『長崎華僑と日中文化交流』年報・第5輯,1989年5月)
・竹内実編『中国近現代論争年表(1895~1989)』京都:同朋舎出版,1992年11月
・「川口華商の形成関係年表」(西口忠「川口華商の形成」(堀田暁生・西口忠編『大阪川口居留地の研究』京都:思文閣出版,1995年2月))
・王柏林・松本武彦「王敬祥関係年譜」(王柏林・松本武彦編『王敬祥関係文書目録』非売品,1996年8月)
・「神戸の中の「中国」ストーリー――神戸華僑物語」(『関帝廟』神戸:財団法人中華会館,1998年8月)
・「神戸華僑史年表」(中華会館編『落地生根――神戸華僑と神阪中華会館の百年』東京:研文出版,2000年2月)
・西川正雄ほか編『角川世界史辞典』東京:角川書店,2001年10月
・岩波書店編集部編『近代日本総合年表(第4版)』東京:岩波書店,2001年11月
・「孫文と神戸関係年表」(陳徳仁・安井三吉『孫文と神戸(補訂版)』神戸:神戸新聞総合出版センター,2002年1月)
・可児弘明・斯波義信・游仲勲編『華僑・華人事典』東京:弘文堂,2002年6月
(作成:久保 純太郎,2004年3月) [1]江柏煒「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」77-79頁。 [2]王柏林「金門島山後[后]郷王家三代記」31頁。注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」82頁。 [3]「王瑞雪致王柏林函及信封」1990年2月2日(「王敬祥関係文書」文書番号0171)。 [4]王柏林「「王敬祥関係文書」について」17頁。注2「金門島山後郷王家三代記」32頁。 [5]洲脇一郎氏によると、「七〇[1870]年に八閩会[公]所が創設されたといわれるが、その場所は復興号であったかどうかわからない」(中華会館編『落地生根』73頁)。 [6]呉柏林『福建公所今昔録』10、13頁。 [7]「王敬祥訃報」(陳東華・蒋海波・中村哲夫編『泰益号文書神戸華僑関係(CD-ROM)』Vol.2)。 [8]注2「金門島山後郷王家三代記」33頁。 [9]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」84頁。 [10]注5『落地生根』68頁。 [11]「王国珍具稟清国駐神戸理事府」1885年10月3日(光緒11年8月25日)(「王敬祥関係文書」文書番号0153)。「清国駐神戸理事府理事照会神戸税関長」1885年10月5日(光緒11年8月27日)(「王敬祥関係文書」文書番号0152)。注5『落地生根』57、66-68頁。 [12]注4「「王敬祥関係文書」について」18頁。注5『落地生根』66頁。 [13]注4「「王敬祥関係文書」について」18頁。 [14]注5『落地生根』66頁。 [15]「王敬祥致王臻英(臻治)、王少海函及信封」[年月不詳]8日(「王敬祥関係文書」文書番号0085)。 [16]注2「金門島山後郷王家三代記」38頁。 [17]注5『落地生根』67-68頁。 [18]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」82、85頁。 [19]注5『落地生根』66、68頁。 [20]注5『落地生根』67-68頁。 [21]注4「「王敬祥関係文書」について」18頁。 [22]孝匣の役割を評価する注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」100頁。敬祥の役割を評価する注2「金門島山後郷王家三代記」30頁。 [23]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」100、106頁。 [24]「関於王敬祥日本帰化的許可証書」1901年10月22日(「王敬祥関係文書」文書番号0003)。 [25]注2「金門島山後郷王家三代記」38頁。「金門山后祖派分支世系表」(「王敬祥関係文書」文書番号0172)。 [26]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」82、85頁。 [27]注5『落地生根』67-68頁。 [28]「復興本号行規条約」1902年(清光緒28年壬寅月)(「王敬祥関係文書」文書番号0021)。 [29]注2「金門島山後郷王家三代記」32頁。王柏林著,江柏煒・簡吟芳訳,江柏煒校対・訳注・図説「金門山后郷王家三代記:一個移民神戸華僑家族的伝記」185頁注10。 [30]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」90頁図16。 [31]注6『福建公所今昔録』11、13頁。 [32]注5『落地生根』110-111、369-371頁。 [33]注5『落地生根』116-117頁。 [34]注5『落地生根』67-68頁。 [35]「神戸華僑同文学校四十週年紀念刊」1939年,133-134頁(陳徳仁編『学校法人神戸中華同文学校八十周年紀念刊』より転引)。 [36]「剪報:「神戸海上運送火災保険株式会社」」『大阪毎日新聞』1920年2月29日付(「王敬祥関係文書」文書番号0174)。 [37]注5『落地生根』379頁。 [38]注5『落地生根』65頁。 [39]注5『落地生根』66頁、89頁注(30)。王敬祥が横浜正金銀行神戸支店の為替仲買人に就いたのを1913年とする説がある(注2「金門島山後郷王家三代記」37頁)が、王敬祥は1911年に自ら「予は正金銀行の買辦なれば」と述べている(「時局急転後の在留清人観(三)」『神戸又新日報』明治44年(1911年)11月13日付)ので、『落地生根』の1910年説を採る。 [40]松本武彦「辛亥革命時期の在日華僑敢死隊について」。 [41]蒋海波「辛亥革命時期神戸華僑の政治活動について」116頁。 [42]松本武彦「中華民国僑商統一連[聯]合会の成立と性格」。同会は新政府の財政を援助するために、中華銀行(上海)の株券引き受けなどを行った(注5『落地生根』134頁。蒋海波「辛亥革命時期神戸華僑の政治活動について」120頁)。 [43]「王敬祥致陳其美、宋教仁、黄興、沈仲礼、王揖唐等函底稿」1912年4月上旬(「王敬祥関係文書」文書番号0151)。 [44]「王敬祥等創辦興業貿易株式会社呈」(中国第二歴史档案館編『中華民国史档案史料匯編』第2輯273-277頁)。「統一聯合会解散」(『神戸新聞』1912年4月1日付)、「王敬祥氏却けらる」(『神戸新聞』1916年1月31日付)。 [45]「中国国民党神戸交通部職員名表」1913年1月19日(『国民雑誌』第1号,1913年4月,130-131頁)。 [46]「中国紅十字会特別会員憑照及信封」1913年1月29日(「王敬祥関係文書」文書番号0023)。 [47]「中国紅十字総会名誉賛助員憑照及信封」1913年3月1日(「王敬祥関係文書」文書番号0024)。 [48]蒋海波「神戸華僑と中華革命党」263-269頁。 [49]「王敬祥呈孫文書」1914年10月4日(「王敬祥関係文書」文書番号0160)。注48「神戸華僑と中華革命党」272頁。 [50]「孫文等給王敬祥委任状」1915年2月11日(「王敬祥関係文書」文書番号0075)。 [51]「王敬祥氏死去」(『神戸又新日報』1922年6月12日付)。同記事によると、敬祥は中南銀行(上海)の重職に就いたことがあるという。 [52]西島函南「神戸日支実業協会の成立由来と現状一班[斑](一)」(『日華実業』第1号,1922年9月,6頁)。松本武彦「神戸日華実業協会の成立について」。 [53]林玲「黄花崗で出会った辛亥革命元勲の子孫」(『中国画報(日文版)』総第424期,1983年10月)。陳来幸「広州黄花崗公園の「紀功坊」について」。 [54]「王敬祥氏逝く」(『神戸新聞』1922年6月12日付)。注7「王敬祥訃報」。注51「王敬祥氏死去」。「王敬祥君之訃」(注52『日華実業』第1号,22頁)。 [55]『神戸新聞』1922年6月14日付所載の葬儀告知。注54「王敬祥君之訃」。 [56]「捐貲興学褒章執照」1922年6月29日(「王敬祥関係文書」文書番号0072)。 [57]注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」97頁注35。注7「王敬祥訃報」。 [58]注4「「王敬祥関係文書」について」25頁。 Copyright
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