「孫文より王敬祥あての書簡および封筒」 第二革命に敗れた孫文は1913年(大正2年)8月東京に亡命した。翌9月、池亨吉は孫文を鈴木宗言に会わせ、鈴木は孫文に日本精神団総裁飯野吉三郎を紹介した。孫文は、日本の軍や政界と関係を持つ飯野から武器弾薬を調達し、再挙を図ろうとし、王敬祥には資金の準備が期待された。
 9月6日、孫文は王敬祥にあて、次のように述べた。「敬祥同志先生鑑、内々に啓上、ご相談したい事があります。日本の同志池亨吉君を神戸に遣わしますので、貴殿は鈴木君と共に東京に御足労頂きたく存じます。どうかご諒解頂ければ幸いです。その他詳細については池君が直接申し上げます。即候大安 孫文謹啓」【三輪雅人「王敬祥」210-212頁参照】
孫文致王敬祥函 (0163) (1913年9月6日) 硝子ビュー[SUKERU]  硝子ビュー[MOJINA]  [大画面] (192,276 byte )
[ 1:函件 ]  [ 2:信封 ]  
大画面を表示

Copyright (c) 2003 Kobe University Library. All rights reserved.